VOCALOIDと東方

先のエントリでは「東方サッカー猛蹴伝」を紹介した。
このゲームをプレイするきっかけは、言わずもがな東方にハマったからである。
このブログでは2007年後半から「VOCALOID」を1年ぐらいアクティブに追っかけていた。

初音ミクが、単なるソフトシンセとそのパッケージに描かれた絵の役割を超え、萌えキャラビジネスとインディーズ音楽の架け橋となる、その過程は実に新鮮。これまで世に出ないマイナーの、しかし才能あるミュージシャンたちが、J-POP市場に無いものを生み出しながら、ミクを媒介に受け入れられていく過程は大変ワクワクさせられるものだった。

やがてVOCALOID作品がほとんどの音楽ジャンルを網羅し、キャラクターとしてもツールとしても役割が十分認められ、地位が安定してきた辺りで、タイムリーに追いかける必然性はないように思えていた。

週刊VOCALOIDランキングも欠かさず見ていたが、大体ランクインする作風が限定的となり、平たく言えばおおよそ飽きてきた。

時を同じくして、萌えとインディーズ音楽の架け橋という意味では、もう1つ、隆盛を誇る「東方」ジャンルへの関心が強くなってきた。

東方は素晴らしいSTGだが、一方で制作者が「音楽CDを作りたかった。ゲームはおまけ」という旨の発言をするぐらい、音楽がよくできている。当然、同人音楽ジャンルにおいて「東方アレンジ」という一大派閥を形成している。

ちなみに、ゲーム実況プレイについては好きなジャンルだが、幕末志士のせいで面白さのハードルが上がりすぎてしまった。今となっては見ている動画はぺっくる監督がみ君ぐらいだ。それと、ゆっくり実況は好きだ。

閑話休題

以上は私の個人的な関心の遷移であるが、ここからは、ニコ動の2大ジャンル*1を形成するVOCALOIDと東方の決定的な違いを説明したい。

VOCALOIDと東方について

VOCALOIDと東方は、音楽を中心に派生した人気キャラクタージャンルという意味で類似性がありながら、決定的に違う点が1つある。

VOCALOIDは一義的には人間の音声をサンプリングしたシンセ製品であるとともに、そのパッケージに描かれたキャラ絵であり、そこにはちょっとした設定資料が付随するぐらい。音声を除けば外観的な特徴以外一切の「背景」「物語」がない。ゆえに、どんな「物語」でも許容できる。

手塚漫画におけるお茶の水博士とか、ディズニー作品におけるミッキーマウスのような「スター俳優」が、様々な作品において様々な役回りでキャスティングされるような、これはスターシステムと言われる手法だ。ゆえに、VOCALOIDのキャラクターを形作るものはすべてが2次創作であって2次創作ではない*2

「物語」どころか姿すら必要はない、そう言わんばかりの出来事が、MMD(MikuMikuDance)というソフトによって起きた。MMDは元々「初音ミクの3Dモデルを動かすソフト」であったが、すぐさまその3Dモデルを差し替える事で、MMDを使い、あらゆるジャンルの動画が制作されることとなった。


こういう場面において、初音ミクは実体があるようでない「創作」の象徴である。

ひるがえって東方には原作ゲームでの世界観、基本的なキャラクターの特徴、立場、相関関係がある。それを押さえて作る作品は、いわゆる従来型の2次創作。

Windows版だけでも2002年から紅・妖・永・花・風・地・星+萃・緋・非と大体毎年1作ペースで出るため、登場キャラクターは膨大だし、STGというジャンルの特性上、原作で十分にキャラ同士が語りあうわけでもない*3ので、2次創作の自由度は他作品に比べ圧倒的に高い。同じキャラでも性格付けが180度違うケースさえある。でも、基本的にはキャラ設定や世界観を押さえないと、十分に堪能できないのは間違いない。音楽を味わうにも、できれば原作をやっておいた方がより良い。

まとめると、VOCALOIDは1次創作=オリジナルのストーリーを持たない、キャラクターイメージだけがある新しいプラットフォーム、フレームワークであり、初音ミクはある種創作の象徴ですらある。それに対して東方はあくまで従来型のゲーム派生2次創作の枠に留まるが、1個人の制作したゲームであるにもかかわらず破格の拡がりをもつシェアード・ワールドを形成し創作者を引きつけている。

形は違えどいずれもネットの時代に、ニコ動という地盤を得て根を張り枝を伸ばした大輪の創作の花である。VOCALOIDは未だ見もせぬ花を咲かせる可能性を秘めている。東方はあらゆる天地で花を咲かせる層の厚みを持っている。

*1:アイマスを入れて御三家。

*2:ミッキーマウスの2次創作なんて作ったら一発でアウトだけど……。

*3:シューティングという弾を撃って避けるだけのゲームならば自機も敵機もキャラグラはおまけにしかならないわけだが。にもかかわらず、デザインは各キャラが個性を持っていて非常に絵として映える。