めちゃモテは生存戦略

私はCanCam型の「みんなに愛されるラブリーな女の子」志向は、そのふやけた外見とはうらはらに、実は私たちの社会がより生きることがむずかしい社会になりつつあるという痛ましい現実をシビアに映し出していると思う。

(中略)

「みんなに愛されたい」というようなプリティなことが繰り返し表明されるのは、そうでもしないと生き残れないというくらいに私たちの社会がリスキーなものになりつつあることの現れである。

さらに筆者は「9条」非武装平和主義も「めちゃモテ」マインドであるという。

日本人は「ラブリー」であることによってリスクをヘッジしている。
おそらくこれは1500年来「中華の属国」として生きてきた日本人のDNAに含まれる種族的なマインドなのである。
アメリカにもラブリー、中国にもラブリー、韓国にもラブリー、台湾にもラブリー、ロシアにもラブリー。
みんなにちょっとずつ愛されるそんな「CanCamな日本」であることが21世紀の国際社会を最小のコスト、最低のリスクで生き抜く戦略だということを無意識のうちに日本人たちは気づき始めている。