初音ミクはカルチャーの架け橋
痛いニュース(ノ∀`):初音ミクのコスプレをしたアニヲタのキックボクサー「長島☆自演乙☆雄一郎」が圧勝で新王者に
長島☆自演乙☆雄一郎オフィシャルブログ powered by Ameba
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最高にかっこいい。
──相手選手にとっては、かなりムカつく感じですよね。
長島 そうですよね。まあ、格闘家と闘うんじゃなく、コスプレイヤーと闘うとイメージしてもらえれば。
──気持ちは格闘家というよりもコスプレイヤー?
長島 そうですね、レイヤーです。
──じゃあ、一番見てほしい部分は?
長島 入場です(キッパリ)。
──試合よりも?
長島 試合はオマケととらえていただければ、ハイ。
──はあ、えーと……。じゃあ最大の目標は…。
長島 K-1でコスプレを見せるというのが、最大の自己表現ですね。
長島☆自演乙氏はただ単に楽しんでいるだけだと思うが、初音ミクによってコスプレパフォーマンスという新風を格闘技界に巻き起こそうとしているのは偉業だ。
今回の件では、まったく異質なカルチャーの架け橋として、「初音ミク」という存在の使われ方が象徴的であると思った。
初音ミクはカルチャーの架け橋
何と何の架け橋かって? それはもちろん、ポップ音楽をはじめとするサブカルチャーと、キャラ萌えを至上とするオタク文化である。
電気もクルマもない時代、昔は生きるので精一杯。文化、学問、芸術なんて、適度に時間と金がないと無理。
だから、それらはみな、ひとにぎりの特権階層のものだった。
彼らはその属する階層にふさわしい成熟した文化を、教養として学んだ。
それから、近代、産業革命以降、大量生産・大量消費の時代に入ると、一般市民の生活水準も向上してくる。
ちょっとした財をなして貴族文化を真似する人たちも生まれるが、庶民の中から「貴族文化くそくらえ!!」と出てきたのが、「反抗する」若者文化、カウンターカルチャー。
ウィンザー王朝配下の貴族制度が形として未だに残る、階級意識の根深いイギリスで、ビートルズが出てきた。アメリカに持ち込まれたのはベトナム戦争のさなか。よってそれは反戦運動のかたちで現れた。
その後、じょじょに「反抗する」相手がいなくなるとカウンターカルチャーは、サブカルチャーへと姿を替える。これがポップミュージックの源流。
一方、漫画・アニメ・ゲームというオタクカルチャーは元をただせば「子供だまし」が大人の鑑賞に耐えるものとして台頭してきた文化。ある意味で天真爛漫さ、子供っぽさをよしとするアジア的な感性は、欧米、キリスト教圏にはない発想だ。なぜならキリスト教的倫理観では、人間は、神からたまわった理性で無秩序の自然状態をコントロールするのが正しい姿。自然に近い無秩序の子供を、斧をもって森を開拓するように、ムチをもって動物を調教するように、修整するのが「教育」であり、子供時代と同じおもちゃをひきずるなど、また社会がそれを認めるなど、もっての他だった。
だからMANGA/ANIMEは斬新であり日本発の世界共通語になりえた。
かくして、サブカルチャーの象徴ともいえるポップミュージックと、オタカルチャーの生み出すキャラクター造形が、この国で交わって生まれた奇跡の果実、相容れない2つの文化の架け橋、それが初音ミクなのだろうと思えてならない。
ただ、いかに、黒潮と親潮が交わる金華山沖の漁獲量が多いとはいえ、黒潮の魚は黒潮の魚であり、親潮の魚は親潮の魚である。お互いの流れは1点で交わろうともそれ以上は混ざらない。おそらく未来永劫……。
サブカルチャーはヤングアダルト的オシャレ、だけどオタカルチャーは子供文化に居直るもの。それゆえ架け橋を渡る人はそう多くない。が、橋があれば誰かが渡れる。それは大いなる進歩だろう。