論理的思考の放棄

論理的思考は答えを出すためのツール。論理をバイパスして欲しい答えが出るならそれはやはり才能だ。

 「論理的思考の放棄」なる話題を目にしたのだけれども、単にこれは「才能」の言い換えなんじゃないの、と思った。

現実に起こる問題解決にあたって、論理は後回し。最初は「解はなんとなくこの辺」という見当をつけることだ。
方向性が違っちゃうと論理は意味がない。

で、方向性っていうと
「こういう問題にはこういうのが解答としてふさわしいんじゃ?」
というイメージでしかない。

答えのありそうな方向に思考を投げかけてみて、論理的に検証してみる。それで「あ、こう考えると筋が通っている」という。
思考の元ネタは、学習。情報の蓄積。

どんなに才能がある人でも、たとえば、イチローが野球なんてない国で生まれてたら?
ボールを握ることすら、バットを振ることすら思いつかなかったろう。