効率性・合理性の非効率性・非合理性

「効率的市場」という場合に私が一番違和感を感じるのは、その市場そのものを運営するためのコストがどこにも登場しないことだ。しかしこれは無料じゃないことは明らかで、そして誰が運営しているかといえば市民であり政府である。

判断の精度を上げていくと、どこかで正しい判断による効果を正しい判断のための効果(引用者注:コスト)が上回るようになる。
(中略)
合理的であろうとし過ぎるのは、まさに非合理性に起因している。

逆説的だが、効率性・合理性を追求しすぎると非効率・非合理に行き着くのである。

神ならぬ身の私たちは、効率的・合理的であるためにもコストがかかる。そのコストが得られた効果をどこかで上回れば、非効率・非合理となる。要は、10万円の節約のために100万円かけちゃったら本末転倒なのだ。

許容できる非効率性・非合理性を残して効率化・合理化によるコストパフォーマンスを最大化するには、効率化する対象全体のスループットを左右するボトルネック(たとえば登山家のパーティーは一番遅いメンバーに全体の動きが制約される)を求め、その制約を解消することに尽力すればよい(ゴールドラットの『ザ・ゴール』にみる「制約理論」である)。

90点の科目を100点満点にするより40点の科目を60点にする方が、きっと楽だ。そして全体として合格点であればそれでよい。