SMAP:テレビ画面のような日常と隣接した安全圏の幻想世界

SMAPファンとV系ファン

私の出先が偶然SMAPのコンサート会場近辺と重なり、大量発生したSMAPファンの群れに取り囲まれることがある。

その構成員を観察すると、女性がほとんどだが、その年齢層は10代〜40代まで老若さまざま。彼女らはSMAPを純粋に楽しみに来ていて周囲をあまり気にしないのか、たまに気合の入った人もいるが「おめかし」よりは普段着の人が大多数を占める。

これがV(ヴィジュアル)系バンドのファンなら10代の若い女性ばかりで全員が判で押したようにロリ服かコスプレ風の格好だ。

V系のファンは自分以外の構成員への対抗心があり、その反面、均質性・同一性を求める。ひるがえって、SMAPファンは他人をあまり省みない。

V系ファン層は、自分の好きなことしか考えないでいい年代の子どもたちだ。時にダークに時にファッショナブルに見果てぬ幻を唄う壇上のミュージシャンたちに過剰な自意識を託し、それゆえマイノリティとしての同属意識が強い。対してSMAPファン層は、もっと精神的に自立し、大人であり、社会性をもち、十分すぎるほど現実に適応している。その息抜きに、エンターテインメントとしてのSMAPを需要し、鑑賞しているのだ。

SMAPファンは現実的で保守的で

職場の同僚にSMAPファンでイケメン好きの女性がいる。

  • 「中居君が好きだ!」
  • 「中居君と恋に落ちる!」
  • 「でも、イケメンなら誰でもいい!」

と妄想満載の戯言を言うのだが、その実、普通に恋人はいて(イケメンではない)、結婚しようとしきりに画策している。
彼女は何歳で結婚して何歳で子どもを産むといったライフプランを、ある程度持っているからだ。

彼女は妄想を楽しみながら、日常世界では他人と社会のルールに適応して、地に足をつけて生きている。これが、いわゆる「普通」だ。「普通」の人が、心のオアシスとしての束の間の妄想を託すことができる。その安心感があるからこそ、SMAPは国民的アイドルになれた。

SMAPワールドはテレビ画面のごとし

ところで、近年のSMAPの大ヒットといえば「世界に一つだけの花」であるが、テーマ性・メッセージ性のある歌詞を打ち出した同作を、先述の同僚は、快しとしなかった。なぜなら、彼らはエンターテインメントとしての幻想であるからだ。

エンターテインメントは、それ自身が明確な意思をもって現実に向かって語りかけてきてはならない。それはあたかも、ニートメイド喫茶に行ったら、店員のメイドさんに「あんたも働きなさい」と説教されるようなものである。

日常と隣接しながら、決して日常を侵食しない、まるでテレビ画面の中で繰り広げられるような、安全で気軽な幻想世界を提供する。それが彼らである。

まさしく彼らはテレビの申し子なのである。