デスノート今後の展開?

映画・アニメ化した「デスノート」だが、「週刊少年ジャンプ」連載の原作は単行本にして13巻で終結している。

前半(第1部)現代日本を舞台に大殺戮を演じた主人公の大立ち回りから、一転、見せ場なく終止追い詰められる立場となった後半(第2部)の人気は幾分フェードアウトしたが、それでも往年の「週刊少年ジャンプ」ならあの時点での終了はない。かの編集部は売れる作家なら1週でも多く描かせることを何より優先し、マンガ家の作家性や作品の完結性など一顧だにしないはずだ。

しかし「デスノート」は、人気・話題性のあるうちに原作を決着。映画・小説・アニメでのメディアミックス展開が始まった。

編集部の方針が変わったのか? とも思えるが、これが「NARUTO」や「ワンピース」だったら現状のようにマンネリしつつも続いているはずだ。これらの少年誌的バトル作品は、現状の敵が全滅したら何か理由をつけて次の敵を出せばよいだけだからだ。

デスノート」の作品固有の性格として、

  1. 少年誌初の「本格犯罪サスペンス」という打ち出し
  2. 凶器が「名前を書かれた人が死ぬノート」という、アイデア一発勝負

なので、

  1. 主人公は遅かれ早かれ犯罪者として破滅へ向かう宿命にある
  2. イデアインパクトだけでは作品を長く続けられない

という事情があるのだろう。

だが、マスメディアで世間に浸透・定着してしまえば、ワンパターン、マンネリもまた力である*1。ワンパターンは「刑事コロンボ」のように多少しつこいぐらいがいい。「コロンボ」のオマージュである「古畑任三郎」も輪をかけてしつこいが、ワンシーンを切り取ってみてもハッキリ作品名が特定できるというのは一種のブランドである。

デスノート」の場合、骨子としてのアイデア(ノート)は変えない。

舞台や主人公を変え(死神リュークは毎回メイン・プレゼンターとして君臨するとして)、こういうバリエーションが考えられる。こうして、2匹目、3匹目のドジョウを生んでいくというわけだ。

ノートをめぐる敵対者同士の対決構造を中心に描けば少年向け

思い切って小畑絵師と芸風の全く異なる作家を選ぶ。
少年向けを意識した軽めのタッチ(「ワンピース」の人みたいなの)がいいだろう。
いっそ鳥山先生の復帰作にどうか。
「オッス、オラ悟空!」
「このノート、人の名前を書くと、たちまちしんじまうんだってな!!」
「ひぇ〜おっかねぇ〜」
カカロット、モノはためしだ。とりあえずヤムチャあたりの名前でも書いておけ」
ベジータ!! おめぇあったまいいなー」

……いや、さすがにこれはあまりに軽すぎる。

ノートを持った人の周囲の人間関係、恋愛を中心に描けば少女向け

少女たちは恋愛以外には興味がない。難しい話は抜きで恋愛モノに走る。できるだけ分かりやすく。
ノートを使って人を殺めた男女の命を賭けた愛の逃走劇という、昼メロじみた話がよかろう。
決して「別にデスノートなくてもよくね?」とか言わないこと。
今の少女マンガは過激だからストーリーに関係なくセックスシーンが挿入されるわけだが、そうすると常にノートに憑いている死神リュークに見られてしまう。
しかし今の少女は過激だから、むしろその方が興奮するのである。現に少女マンガでは、駅弁スタイルで合体したまま渋谷を練り歩く(「頭がフットーしそうだよおっっ」)という事例もある。
その辺を踏まえて、すぎ恵美子先生(頭がフットーして気化するといいよ)に描いてもらいたいが、基本的に作家は誰でも大差ないと思う。小畑絵のトレスは全面的に許可。

ノートを使った悪人たちの金儲けや陰謀を中枢に据えれば青年誌向け

ミナミの帝王郷力也か、銀と金福本伸行が適任だ。
ミナミの帝王バージョンだと、こうか。
「これはなァ……名前を書いたらたちどころに死に至るノートや」
「ナニゆうてはりまんねん、萬田はん。そんなアホなモンあらへんわ」
「それがあるんやなァ〜。ホナ、あんさんのヨメはんで試してみたってもエエんやでェー」
「なっ、なんやてェ〜〜〜ッ?」
「あんさん明日までに1000万耳そろえて返しなはれ!! せやないと、このデスノートに名前書くでェー!!」
「そ、それは堪忍やァーーー!」
……いや、デスノートが関西弁で語られると、これほど安っぽくなるとは思わなかった。計算外。

歪んだ犯罪者の心理*2をドロドロに描けばサイコサスペンスもの

「殺し屋1」「ホムンクルス」の山本英夫に描かせたい。
ノートに他人の名を書くたびにオーガズムに達する。
……やばい。この設定、身体がもたない。破綻する。

*1:「定番」「お約束」なんていうのは、決して悪い意味ばかりではない。

*2:ライト君のような、ある意味純粋で理想主義的なものではなくて。