共同幻想、物語、ビジュアル系
人間の心には形がありません。
その意味では、人が持つ、どんな強固な思い、信念も、一種の幻想にすぎません。
しかし、人間の幻想は、同じ心をもつ人間同士、分かち合うことが出来ます。
信念は、一人で思っていればただの幻想ですが、仲間と一緒に感じることができれば、それは連帯感につながります。
言い方を替えると、これを、共同幻想と言うことが出来ます。
団体という装置の役割は、共同幻想を作り出すことです。
ロックバンドも団体です。「音楽」を抜きにすれば、ある種の「物語」という共同幻想を生み出すための装置です。
その「物語」の表現多様性を視覚的に広げたのがビジュアル系。
ビジュアル系の起源は、グラム・ロックやニューウェーブといった洋楽文化に、日本独特の文化(歌舞伎の隈取?)や、不良の髪染め・髪立て・特攻服文化が混じったものだと考えられます。X JAPANや初期ルナシーなどが、まさにそうですね。
彼らの音楽が、そうしたアウトロー層からウケたのも当然です。なぜなら、もともとロックはカウンターカルチャーだったのですから。
しかし、市場が広くなるにしたがって、そうした狭いコミュニティから徐々に文化レベルの多様化が起こります。
その最終形が、日本の誇る漫画・アニメ・ゲームの文化を取り入れた、サイコ・ル・シェイムなのでした。
彼らが他のバンドと違うのは、音楽を作ることに付随する「物語」を売るのではなくて、先に「物語」ありきで、そのBGMとして音楽を作っていたのです。
だからこそ、おもしろい!!*1
彼らが自分たちの発想の限界に達したとき、新たなイメージを求めて覚醒剤に手を出してしまったのは、ある意味仕方の無いことだと言えます。
ともあれ、日本のビジュアル系文化は、静かに幕を閉じました。
関係者の皆様、ご苦労様でした。
ゴスロリの皆様、まだまだ頑張ってください。
※ニュース経由:さようなら、Psycho le Cemu - Milano::Monolog
*1:以前、Gacktがボーカルを務めていたマリス・ミゼルが長期存続していたら、このおもしろさはもっと先に行っていたというのが心残りですね。マリス・ミゼルは、音楽性でもユニークでしたから。