「取説」で人を見る
「取説」実用編その1。
今日会った友人は、
- 負けず嫌い
- 将来的には、政策など、社会的影響力の大きい仕事にかかわりたい
- 個人的な趣味を持たない
- しかし、趣味の1つもなければ社交的に不利だから、何か始めたい
- 社会的に影響のない、個人的な理想・成功に全く共感しない
- 例:エベレスト登ってそれが何になるの?
という軍人タイプの人でした。
対角線側(職人タイプ)の欲求に対し、全く共感を示さない*1ところがポイントです。
彼女がなりたいのは「何でもできる人」だそうです。よくよく訊いてみれば「できない」と言うのがイヤなのだそうで、根本はやっぱり負けず嫌いなのでした。
別の文脈で彼女は「皆が幸せになること」が夢だと言っています。
この発言は、少し煮詰めると
「すべての人が幸せになる機会すらつかむことができないのは、不公平だ!」
という、社会的な機会均等性を求める性質から来るもののようです。
学生時代、女性差別に憤慨して、ジェンダー論とかにかぶれていた一時期があったと推測されます。
そして、彼女は決して宗教的な幸福は認めないのです。おもしろいですね。
すべての人の幸せを願う彼女が、なぜか、現世のあらゆる苦難を超え、すべての人が幸福を得られるかもしれない、宗教は否定するのです。
彼女の思う幸福とは、宗教などで得られる、人間の内面世界(心)の姿ではない、現実社会で得られる、もっと確固とした何かなのです。
だから、彼女は、心のどこかで、社会を動かせば人を幸せにすることはできると、信じているのです。
あくまでも考え方の地盤が、社会的なものであるということなのでしょう。
残念ながら、学者タイプの私には、そういった信念がないですし、それ以前に他人の幸・不幸にあまり関心がないです。
というわけで、彼女には、現実社会で十分人間は幸せになれるのだという信念を貫き通し、がっぽりお金を貯めて、政治の世界に介入するなり女ホリエモンになるなり、自分色に社会を塗り替えて欲しい! 革命戦士! エロテロリスト!!*2
と激励の言葉をかけておきました。頑張ってね!