「神」と呼ばれる作品
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- 「神曲」の件、引き続き。 - ペンギン村役場 - PENGUINS PROJECTオフィシャルブログ-
id:PENGUINS_PROJECT(思春期P)による「神曲」論。
いい話題なので私も一枚噛ませていただく。
上記エントリは「神曲」論だが、もう少し敷衍して「神動画」などのニコニコ作品一般につけられる「神」という単語について述べてみたい。
テーマ
「神」認定される作品について
1.「神」意味解釈
この場合の「神」の意味に、宗教的意図はないように受け取れる。
2ちゃんねる発祥の「神降臨」*1といったネットスラング的な言い回しだ。
強いて宗教的に解釈すれば、もともと日本は八百万の神の国であるから、唯一神教の“God”とは異なる、多神教の“deity”で、「この作品には人智を超えたスゴい何かが宿っている」というアニミズム的考え方だと捉えるのが自然である。
2.「神」認定基準
「神」を感じるのは人間の心であり、明確な客観的基準はない。
- 作品の受け取り方は、人それぞれ
- 趣味嗜好
- 経験・知識等のデータベース的蓄積
- 感覚器・脳等の情報処理能力
- 性格(許容範囲、特定ジャンルへの熱狂度、受容姿勢*2)
- 「神」という言葉の使い方も人それぞれ
- 何をどれほどスゴいと感じれば「神」と叫ぶかの基準も人それぞれ
- 「神」を感じ、叫びやすい人が、いわばシャーマンとして、「神」の存在を伝え歩くことになる
アニミズム的な喩えで言えば、霊感(?)の強いシャーマンが「神」を感じ、それを賛美する声をあげ、作品は自然発生的に「神」の称号を得る。そして、それを保ち続けたものが「神」だと言える。
3.「神」成立過程
明確な客観的基準はないとしたものの、誰か(上述のシャーマン)が「神」を叫ぶことで「神」の称号を得るのは確か。
その上で下記のプロセスを経れば「神」認定されるものと私は考えている。
- 「神」という称号を、継続的に承認され続けること
- 多数の追認(最低黙認)によって「神」の称号を保ち続けること
条件1として、とにかく誰かに「神」と叫ばせ続ける、感情のしきい値を超える感動・衝撃を与えなくてはいけない。
活発に「神」を感じ、叫んで影響を与えるシャーマンとなり得るのは誰だろうか。
ハードコアなニコ厨か、もしくはページビューをたくさん稼ぐ著名ブロガーか。
いずれにせよ、シャーマンたるノイジー・マイノリティが、サイレント・マジョリティを感化するところからスタートするだろう。
条件2として、シャーマンをとりまく普通のユーザーが、「神」認定を追認または少なくとも否定せず黙認しないといけない(それらのサイレント・マジョリティによって再生数は伸びる)。
否定されないためには、「よくできている」「そつがない」「アラがない」という評価さえ得られればいい。好き嫌いは別としてサイレント・マジョリティが納得するクォリティの高さが必要である*3。
上記条件をユーザー主語で言い換えると、
- (特定ユーザーが定期的に、あるいは定期的に新しいユーザーが)「神」と叫ぶくらいの感動・衝撃を得ること
- (その他のユーザーが)それを否定できない高いクォリティを感じること
ユーザーの属性で言い換えると、
- 「神」と呼ぶシャーマン(熱狂的)ファン少数
- それほどではないけど比較的好意的な(けなすことはない)ファン多数
ということになる。
したがって、「神」認定されるには、シャーマンたる少数の忠実な信者およびそれ以外の広く浅いファン層を形成することが必要だ、ということになる。
*1:google:神降臨+2ch←参考までにぐぐってみた。ぱっと見、2001年ぐらいから普通に使われている感じ。
*2:どれくらい進取性があり、新たなものを取り入れるか。自分の理解できないものに対し、興味を持ち、理解を示す努力をするか。
*3:「神」評価が定着してきてからアンチが湧いてくることもあるけどそれはほとんど影響力がない。