Dr.スランプ アラレちゃん DVD-BOX んちゃ編

ルーツ・オブ・めがねっこ、アラレちゃんがDVD-BOX化。完全予約限定生産だそうだ。

10万円を超えるので本気で萌えられる奴、限定である。

https://www.pressblog.jp/mg/20061107ar/img/img6.jpg
http://www.j-drslump.com
予約締切:2007.1.8/発売:2007.3.23

週刊ジャンプに「ハンター×ハンター」が載らなくなってから、軽く半年以上は経ったであろう。

マンガ家・冨樫義博の創作意欲は「幽遊白書」のヒットから低下の一途を辿り、この頃はデフレ期の長期金利並のゼロ水準に達した*1

だが、その身勝手さを嫌われながらも、マンガ家としての冨樫は、依然として傑出した才の持ち主である。もとより休載だらけな上、下書状態の絵を掲載するプロにあるまじき醜態を極めた「ハンター」でさえ、一流マンガ誌である週刊ジャンプで連載され続けアニメ化までしたのだから、どれだけ魅力的な作家かが理解できよう。

一方、連載終了後10年を超えた今も世界各地で愛され続ける*2歴史的大ヒット作「ドラゴンボール」の作者・鳥山明は対照的で、マンガ家としては廃業同然である。

それでも無理はないくらい「ドラゴンボール」は偉大すぎた。聖書には物語のすべての要素が詰まっていると言われる。「ドラゴンボール」は世界中の少年マンガにとって、聖書である。進化の原点である。

やがて少年マンガの系譜は単純な力と力のぶつかりあいから、「ジョジョ」「ハンター」「デスノート」で見られるような、一定のルール下で己の特殊能力を生かす戦術を凝らしたものへと、進化を遂げている。

手塚がマンガの神様であれば、鳥山は少年マンガの神様である。けれども、自らが進化の流れを作り出した少年マンガに取り残されてしまった、孤独な神である。

ならば、彼の前作である「アラレちゃん」は何だったか。それは一神教の神による天地創造以前の、多神教の「神話の世界」である。

ドラゴンボール」的な少年マンガなるものが確立する以前の、童話、SF、ファンタジーのアイデアをごった煮にしたセンス・オブ・ワンダーが横溢したペンギン村の日常は、現実世界を生きる我々にとってバカバカしくてスラップスティックながら、なぜかみずみずしくプリミティブな魅力を放っていた。

センベイさんとミドリ先生の子ども・ターボくんがUFOに衝突され事故死、宇宙人に蘇生手術され、その副作用で超能力者になってしまったエピソードなど、それだけでハリウッド映画が一本できそうなアイデアである。だけど大事件にはならない。事も無げに淡々とこの非日常の住人たちによる日常を描く。これが鳥山の本質ではないのかと思う。

少年マンガにおける闘いとインフレの繰り返しに倦む鳥山が、真に還るべき場所は「アラレちゃん」のような「非日常の日常」なのではないか。

ドラゴンボール」で一生かかっても使い切れない財を成したであろう鳥山明だが、余生の趣味として描くならば、こういうマンガであってほしいと願う。