すもももももも〜地上最強のヨメ〜

アニメ化に際して一言。ごくスタンダードな押しかけ女房型ラブコメに、「妹キャラ」「メガネっこ委員長」など最新鋭の萌え装置*1を追加装備した今風の作品ではあるが、テーマは

  • 常識は、環境によって異なる
  • 正義という理念を実現するには、それを遂行する力が必要

ということだと言っておこう。

主人公は検事をめざす高校生。ある日主人公の元に、許嫁(ヒロイン)がやってくる。二人はともに東西を代表する武術家の家系に生まれたが、片やヒロインは武術のエキスパートで、片や主人公は一般人(むしろ優等生)なのに、いつしか主人公は武術家の頭領の家系ゆえ、他の武術家に命を狙われ、武術家同士(彼曰く「変態」)の闘争に巻き込まれていく(そこで主人公がうまくヒロインの自分への愛情を利用し、彼女に戦わせ、自分自身は逃げ回るというのが、おもしろいポイントではある)。

主人公は六法全書片手に法の正義を説くが、そんなものは武術家には何の効力もないというシーンがしばしば描かれる。まあ主人公の父親からして目からビームを放てるわけだし。そんな彼らを主人公は非現実的だというが、武術家側からは「現に命を狙われているのに武術をやらない方が非現実的」と返されてしまう。

いかに周囲が彼の視点では異常な考え方に染まっても、彼の周りの環境が全てその考え方に基づいて動くのならば彼もまたそれを常識として、適応し生きていくより他はない。環境に対して常識は相対的なのだ。

しかし主人公はマンガの登場人物らしからぬ、お堅い常識人ぶりで、突然現れた武術家の許嫁を、また自分の置かれた環境を、非現実的な運命をかたくなに拒む。

物語の序盤、正義感に溢れる委員長(メガネっこ)*2が、不良に殴られたことでイジメを黙認してしまうシーンも印象的である。ここで彼は委員長の身代わりになってボコられる*3。たとえ普通の不良(主人公の常識側の人間)相手でも、法律上の正しさだけでは力はないのに、主人公は六法を振りかざすだけだ。

主人公がいつしか考えを変えて環境適応する(武術家のサラブレッドとしての才能を発揮する)日はくるのか、それとも、従来どおり機転を利かせて周辺の「変態」同士をぶつけ難を逃れることによって、あくまで自分にとっての常識的価値観を守るか。この点が、「すもももももも」の物語の見所の一つだといえる。でも今の話の流れで、敵が強くなればなるほど、後者の可能性は低くなるし、前者になるとこの話は終わりだからなあ……。

関連:Amazon著者名リンク

*1:以下参照。

  • http://f19.aaa.livedoor.jp/~hiyousi/offlinever2/index.php?mode=res_view&no=407
  • http://f19.aaa.livedoor.jp/~hiyousi/offlinever2/index.php?mode=res_view&no=480
  • http://f19.aaa.livedoor.jp/~hiyousi/offlinever2/index.php?mode=res_view&no=578

    *2:後で、この委員長が武術家だと判明。恐怖を克服するために、羞恥を闘気に変えるという紐ビキニのような戦闘服を着せられる。

    *3:ここで「弱いものはイジメられて当然」という不良に、主人公は「自分の弟がイジメられていたとしてお前はそれを自分の弟には言えまい」と相手を論破するのだが、だからといって暴力はおさまるものでもない。