問いを無視することの重要さ

時として、人の質問内容を「ある程度無視する」ことも、説明の分かりやすさ、うまさにつながる。
逆説的に聞こえるかもしれないが、質問者にふりまわされない強さをもって問いの本質を見抜き、答えることも必要な場合があるのだ。

たとえば、この理科教師は(理科教師としては間違いにせよ)いい問題を作ったと思う。ストーリー仕立てにするという作為によって、テストの問いとしては必要以上の情報を与え、結果としてミスリーディングしてしまった。私たちに、問いの立てかたはシンプルでなければいけないという教訓を与えてくれているのだ。

現実世界で、問いというのは常に洗練されているものではない。日常的に、私たちはさまざまな質疑応答をするが、物事に対する理解のレベルはさまざまで、それにより質問のレベルもバラバラだからだ。

ゆえに、知りたいことにピントが合っていて、ただそれに答えればいいという質問ばかりではない。全然ワカラン人が質問した場合、質問自体が変なこともありうる。

質問内容から主題に対する相手の理解度を判断し、場合によって、質問の内容自体はある程度無視して、相手の知りたいまたは知るべき(であろうと自分が思う)ことを汲み取って答える「説明のうまさ」も、時として必要になる。