プロセス論の時代からコンテンツの時代へ

設計者の発言の渡辺氏、開発プロセス論議はナンセンスだと痛快一蹴。

ナニとナニのどっちを先にやるべきかなんて、「マラソンのスタート時に利き足を先に出すべきか後に出すべきか」くらいの取るに足りない議論に思えてくる。

OK、確かにアンタの言う通り。アスリートには、標準化されたプロセスなんて、笑止だぜ。フルマラソンをあざやかに走りきるのに必要なのは、タフさ。そこへ辿り着く鍛錬、それを維持する勝利へのモチベーション。そして神に選ばれた者だけが生来持つ、センスが必要さ*1

ただアスリートの世界と違い、適性のない奴は朽ちよ、とも単純にはならず。情報システム開発は、製造原価の大部分を労務費が占める、労働集約産業である。と同時に、情報システムのインフラ的性質が、ゼネコンと同じ下請構造を生む。
よって、繰り返される下請の最下層では、一山いくらの安価な人材に、大量の需要が発生する。
それでいいのか? と言われると何とも言えない。材料であれば安物は品質にダイレクトに跳ね返る。人がすべてとなると、なにせ人の頭の中は目に見えず数値化もされず、情報システムも目に見えないから良いとか悪いとかあまり判然としない。その実、どこもかしこも姉歯並だったりしないとも言えない……。

そのため、さながらパン工場の工員がベルトコンベアから流れてきたパンを淡々と袋詰めするかのごとく*2、システム産業も規律正しくプロセス化できれば、それに越したことはないではないか?(ではないか?)

とエコーつきで言ってしまうほど、事は深刻なのでありました。

*1:私はアスリートではないので、この文章の正確さについては何とも言えません。

*2:この比喩の箇所は、正確なパン工場の実態を表している保証はありません。鳥肌実氏の演説の影響を受けただけです。