アマデウス

アマデウス ― ディレクターズカット スペシャル・エディション [DVD]

アマデウス ― ディレクターズカット スペシャル・エディション [DVD]

ちょっと前にDVDで観たのでメモ。
ディレクターズ・カット版でたっぷり180分*1

概要

敬虔な宮廷作曲家サリエリが、小男で下品な若き天才・モーツァルトに嫉妬。彼の殺害を企てる。

萌えどころ

しっとマスクことサリエリ=ツンデレである。

人間・モーツァルトは、才能を鼻にかけた傲慢で下劣で粗野な若者で、大ッ嫌い。
けれど、彼の天賦の才が奏でる音楽を涙が出るほど愛する。

川本真琴の言葉を借りると、「DNA(大キライ・なのに・愛してる)*2」である。

そして同時に、彼我の才能の絶望的なまでの差をイヤというほど味わう。

モーツァルトの天上の音楽を耳にするたび、サリエリは感動と嫉妬、恍惚と絶望の狭間にさいなまれる。

神童・モーツァルトの才を、その音楽を、こよなく愛するがゆえ、それを敬虔な自分ではなく、あの薄汚い下劣な小男に与えたもうた神に対し、憎悪し、憤怒するのだ。

サリエリにとって、モーツァルトへの復讐は、神への復讐でもあった。

そして、モーツァルトを経済的に追い詰め、さらに精神的に追い詰めんとして依頼したのが、「レクイエム」の作曲だった。

疲弊し、死の病に倒れたモーツァルトに、サリエリは助力を申し出る。
モーツァルトが虫の息の下、調性、旋律、和音、オーケストレーションを指示、サリエリは代筆を執る。

サリエリは初めて触れることを許された神の領域に昂奮を隠せない。彼にとって、憎しみながらも愛してやまない、モーツァルトは神そのものだった。

朝を迎えるまで二人は寄り添いながら、作業を続ける。すべての嫉妬、敵意、憎悪が、まるで何事も無かったかのように、サリエリは献身的に協力する。

最期に、サリエリに対してこれまでの態度についての赦しを乞い、神に召されるモーツァルト

サリエリの復讐は完成され、そして大いなる欠乏が彼を待っていた。
死してなお、広く人々に愛されるモーツァルトの音楽。
徐々に世の中から忘れ去られていくサリエリの音楽。
終わりなき、絶望と後悔と嫉妬と罪悪感……。
傷つき、疲れ果て、すべてを失ったことを悟ったサリエリは、死を図る。

まとめ

この「アマデウス」という映画は、サリエリが愛と憎しみと嫉妬というジレンマに打ち震え、絶望と罪の意識に苦悩した末に狂人になり果てたさまを堪能する、精神的SM世界を楽しむ傑作に仕上がっていた。

そして、そのSMプレイのしめくくりとして、ラストシーンでサリエリは車椅子に揺られてこう叫ぶのだ。

「私は汝ら凡庸なる者の守り神である」

まるで、その血で我らすべて凡庸なる者の原罪を贖った、救世主であるがごとく。

*1:映画は、1回の上映時間が短いほど客の回転が良く興行成績が上がるため、プロデューサーが少しでも不必要と感じたシーンを切っていく。監督は、やむなく割愛したカットを「ディレクターズ・カット」に収めて成仏させるのだ。

*2:神様は何も禁止なんかしてないそうです。