Distance

君は君 我は我也 されど仲よき ――武者小路実篤

互いの個を尊重して仲良くしようね。そういうノリの言葉だと思うのだけど、人の孤独をポジティブに捉えるなら、逆に「君は君 我は我也 ゆえに仲よき」としたいところだろうか。

人は個であり、孤独である。すべてを分かち合うことはできない。それは悲しくもあるし、素晴らしくもある。大学入試の小論文で書いたテーマだ。それは、まるで示し合わせたかのように私の中の価値観に呼応するものだった。
このテーマを、まさか後に、国民的シンガー・宇多田ヒカルと共有することになるとは、そのときは思いもよらなかったのだが。

「Distance」

http://images-jp.amazon.com/images/P/B00005HV8J.09.MZZZZZZZ.jpg
90年代末、Misia を中心に突如発生したR&Bブームにより、実力派といわれるシンガーたちが小室帝国の残党を駆逐した時期、アメリカ帰りの本格派R&Bシンガー(?)として出現したのが宇多田ヒカル
彼女はデビューアルバムにより累計900万枚もの売上記録を樹立し、日本音楽史上に名を刻んだ。
それに続く2ndアルバムが「Distance」。タイトル曲は、彼女にしては珍しい、ガール・ポップ調のキラキラした音色を多用した、メジャー・バラード。
後に「距離」を強調する形容詞を付与されリメイク*1。とある不幸な犯罪の犠牲者に "dedicate"*2 されたのは記憶に新しい。

宇多田は、「ひとつにはなれない」と他者と分かり合うことの限界を認識した上で、なおも他者を希求し、コミュニケーションを諦めない強さと意志を綴った。

他の曲でも彼女は同じテーマを歌い上げるが、その眼差しは揺るがない。

君の存在で 自分の孤独 確認する
一人じゃ孤独を感じられない
強くなれるように いつか届くように 君にも同じ孤独をあげたい だから I sing this song for you

人間は誰も一人だが、同時に一人では生きられないことを認めた上で、自分と他者との距離を正面から見つめ、宇多田はしなやかに、強く、その距離を抱きしめる。

その距離があってこその、かけがえのない「私」であり「君」なのだから。

I wanna be with you now
二人でdistance 縮めて
今なら間に合うから
We can start over
ひとつにはなれない
I wanna be with you now
いつの日かdistanceも
抱きしめられるようになれるよ

引用はサビのパート。サビの出だし(I 〜)で、セルフコーラスのコードとテンション(9th)のメロディがかぶる刹那、宇多田特有の倍音成分の多い声質が複雑な波形を織り成し、一気に情報量が増える。目の前に世界が広がるようだ。
メロディを先導するようにコードが動き、メロディがコードの内音と重なると再度すりぬける。シンプルだがエモーショナルなメジャー・バラードで表現されるのは、美しくも強いステートメント
宇多田が、ただの売れっ子R&B少女歌手から脱却したマイルストーンとなる一作であったと言って過言ではない。

全米デビューに転じたのは「ちょっと悪ノリが過ぎたかな」という印象なのだけど、それをもって彼女の才能の枯渇を告げるのは早計に過ぎる。
宇多田ヒカル椎名林檎には、後もう一波乱、期待しているので。