分かり合えないから面白い

http://d.hatena.ne.jp/iduru/20041222

意志が疎通しなくともそこに異質な他者が存在し、そしてその他者とのすれ違いが豊かなカオスをもたらすこと、それ自体をよつばは(もしくはよつばに共感する読者は)楽しむのだと思う。私たちは分かり合えない。でも、分かり合えないってことは、結構楽しくない? 『よつばと!』を読んでいると、そんな鷹揚な気分になる。分かり合えないけど、そこに他者がいるってことは確かで、それって面白くない? と。そのカオスを、分かり合えなさを痛みと共に受け容れるのではなく、あくまで楽しんでしまう感性を備えているが故に、よつばは無敵なのだ。

あずまきよひこの漫画に通奏低音のように流れる言い知れない妙味をこのように語る人を、はじめて見ました。
分かり合えないから面白い。
宇多田ヒカルが2ndアルバム『Distance』で歌ったのも、「人は、どんなに大切でも、他人(≠自分)であり、完全に分かり合うことはない。だから、距離は0になることはない」という普遍的なテーゼでありました。
人と人とが分かり合えることは素晴らしく、また、分かり合えないことも、なんと素晴らしいことでしょう。人と分かり合えないということは、それが自分ではない他人であることの証明であり、間違いなく世界が豊かであることの証明なのですから。