音楽の要素をマンガにたとえると
音極道さんの、例の王道進行を肴に、コード進行という言葉が最近とみに飛び交っていると思う。
そこで「コード進行って何?」という話をしてみたい。そのために、音楽の構成要素をマンガにたとえてみる。
王道進行解説動画
音楽の3+1大要素
- リズム(律動)
- メロディ(旋律)
- ハーモニー(和声)
という3要素に加え、20世紀以降はサウンド(音色)が音楽の4大要素になっている。
それをマンガでたとえると
- リズム…コマ割やテンポ、話の進め方
- メロディ…主人公の行動、言動
- ハーモニー…人物関係、ストーリー、あらすじ
- サウンド…絵柄、線のタッチ、描き込み
こんな感じだと思って。
コード進行ってなあに?
コード進行はいわゆるクラシック音楽におけるハーモニーのしくみ、機能和声をベースにしている。
これは、和音(ある特定のパターンの音のかたまり)に、曲というシナリオの中である種の「機能」(役割と言い換えてもいい)を付与して考えるシステムだと思えばいい。
たとえば、ストーリーマンガにおける
「主人公」
「ライバル」
「仲間」
というような立場の存在は、手を替え品を替え、おそらくどのような作品のシナリオにも登場してくる。
個々の人格を考慮しないで考えると、彼らは、シナリオを進めるための役割、もしくは「機能」を持った存在であると言える。
コード進行というのも、和音に「主人公」・「ライバル」・「仲間」みたいな、曲というシナリオを進めるための「機能」を与えることで成り立っている*1。
「お約束」と「王道進行」
さて、機能和声の理論上は、強進行(ドミナント・モーション)という、ある種の「主人公が敵を倒してハッピーエンド」みたいな、これは最終的に守らないと終わった感が出ないぜ、といった、ものすごく拘束力の強い「お約束」展開がある。
この「お約束」からの脱却が現代音楽の歴史。
もちろんJ-POPだって「お約束」べったりじゃ、つまんない。
だから、元の「お約束」からいい具合に離れつつ、でも、みんながみんな「これいいじゃん?」と思って使い出したことによってマンネリ化してしまった展開がある。
それが「王道進行」というものだ。
昔の少年ジャンプのマンガにおける努力・友情・勝利みたいな、「王道」ばかりが流行る時代が、2〜30年続いてるような……。そんなところだと思う。
結論?
マンガは日本文化だけど音楽は西洋音楽を押し着せ教育され欧米のポップスを輸入しただけの、根は演歌の国で、「歌が良ければそれで良し」というところは、結構な国民の中にあるんじゃないかな……。
なので、欧米から10年遅れ云々というのは、言っても詮無きこと。
逆に考えるんだ。日本音楽市場全体でコード進行が「王道進行」固定の「縛り」プレイをやっているのだと!(ニコ動脳乙ww)
*1:この役割は基本変わらないが和音(登場人物)を縛り付ける「調」(音を相対的に評価する価値観の枠組みみたいなもの)が変わる(転調する)と主人公が交代したりする。